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Townzen TOP - We love The Who
The Who 2007
from The concert booklet
「The Who」というのはいつも「60年代の悪ガキ」を表現するワードのひとつだった。人によってはこのワードから「60年代中期の若者4人」を思い出すだろうし、ひょっとしたら「70年代中期の少し大人になった4人」を想起するかも知れない。今までこのワードが、「ファンや観客を睨みつけるゴツい60代の男2人」を想起させることは絶対なかったが、君たちがそれを受け入れ、気に入ってくれることを望んでいる。そして俺たちがやろうとしていることによって、何がしかの変化を感じてもらいたいと思っている。
「ロックバンドの名前」という点では、「The Who」というワードは特定のイデオロギーやプロダクトを意味しない。それは多様な陰影によって構築されるイメージの集合体だ−暴力的なギターとドラム、ダイヤ柄の服を着てスクーターに乗るモッズ達、破壊されたホテルの部屋、征服された大歌劇場、巨大スタジアム。いくつかの素晴らしい成功といくつかの悲劇。それらの言葉とイメージは、それぞれバラバラな象徴として宙に漂っている。たくさんの始まりと終わり、様々なツアーといわゆるカムバック・ツアー、ほつれた旗みたいに掲げられた、「反抗の60年代」という概念そのものへの賞賛。
The Whoは一時期、集団を寄せ集めた集団−ひとつのブランドの下にたくさんのバンドがぶら下がっているような集団−だった。「The Who」はもちろんいくつかの歴史的転機と多大な時間経過を経たブランドだ。我々のウィキペディア項目を例にあげよう。様々な編集者が独自の見解で、何が起こり、それが彼らの眼からどう見えているかを次々に付け加えるために、内容が数分毎に変化している。もし君が悪い日に俺をホテルの外で捕まえたら、俺は君を鼻であしらうだろう。もし良い日だったら、ちょっと話をしていかないか、と誘うだろう。キース・ムーンだったら、君を笑わせるか、驚かすに違いない。ジョンだったら君をバーに誘ってワインでもてなしただろう。ロジャーなら微笑むか、もしかしたら心配そうに現れて急いで別の場所に行ってしまうかも知れない。The Who の話は何千通りにも語れる。
今、新しいWhoは高度なロックン・ロールの世界を漂っている。この新しいWhoは正確にはバンドや集団ではない。前よりもっとシンプルになっている。今のThe
Whoは、ピート・タウンゼントというソングライター兼ギタリストとロジャー・ダルトリーというロックシンガー、俺たち2人だ。そして何人かの友達。そしてたくさんの歴史。今のところそれ以上なにも加えられていない。
The Whoはパワフルなブランドネームだ。このバンドのために俺が作った曲は世の中に定着し、それ自体がシンボルになった。我々全員が同じ「ロック」という理念に忠実である続けることは不可能だ。人それぞれ違う「ロック」という理念を持っている。ロジャーと俺はThe
Whoの活動について本当に口論したり喧嘩したりしたことは一度もない(君を失望させないといいのだが)。だが、話し合いが止まってしまったとき、お互いにそれぞれ違う立ち位置にいることに気付いたことはよくある。書いた曲がすべて売れないと、俺は新しい曲を書けないというわけだ。
今は俺にとって特別エキサイティングな時期だ。ロジャーと俺という前科者2人がデュオを組むに値すると思える曲をいくつか書いた。(俺たちは年をとったかもしれないが、頑丈だ。)また、インターネットは俺のとりとめのない、気違いじみた古くさい70年代の計画を実行できるまでになったし、時に少し及び腰になったときには、噂とは正反対に、ロジャーが支えてくれた。だから俺たちはThe Whoの実質的な最初のワールドツアーを開始した。しかも世界を二周しようとしている。俺のガールフレンド、レイチェル・フラーの支援のお陰で、ウェブでのライブ番組による大規模なチャリティ基金を行うことにした。これは年金基金ツアーではない。単に金の話ではない。これは、これまでの我々のクリエイティブ活動を後押しするためのものだ。我々は人生のこの時期に君たちのために演奏できることをとても光栄でラッキーなことだと感じている−いろいろあった後に−いろいろあったが全部終わったことだ。これはもちろん、新譜の売り出しのためでもない。これは、新しい着想や取組み、そして新しいエネルギーを提示するためのものだ。
これは尋常でない意見のぶつかり合いの新たな幕開けでもある。Who国においてはロジャーと俺は、俺たちが世の中にどうあるべきかについて完全に意見が一致することはない。俺たちが少なくとも話し合い、意見を一致させようとしていることは分かってもらえるだろう。未来のことについて考えるとき、俺たちはただ一点だけ合意する。ライブミュージックこそが、人生において重要な「生命エネルギーの源」に我々全員をつなぐことができると俺たちは信じている。それは、ユーモアのセンスやオープンなマインドを呼び覚ます、喜びに満ちた集会を支える「愛」だ。俺たちはそれぞれの違いにかかわらず共に存在し、団結のための最初の「ロック・コンサート・スタイルの」数歩を踏み出すだろう。−叫び、涙、笑顔・・・
ロジャーがここにいたらきっと付け加えるだろう:「a bum note, a bead of sweat(体育会系男気ロック)」と笑いを。俺は確信している。君もだろう?
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